2011年12月24日土曜日

The Giving Tree


ー去年、本屋さんのクリスマス・プレゼント用絵本コーナーで
 シルヴァスタインの「大きな木」が目に留まったので
 つい買っちゃった。村上春樹の新訳だったからね。
ーシルヴァスタインって、どっかで聞いた気がする…
ー以前「ぼくを探しに」って絵本が話題になったよ。
 サークルが自分の欠けた部分を探しに旅をするお話。
ー「大きな木」はどんなお話なの?
ー大きなりんごの木と少年のお話。もっとも少年は最後老いぼれた
 老人になってしまうんだけどね。
ーそれで?
ー原題は<The Giving Tree>って言うんだけど、つまりりんごの木は
 自分が与えられるものを少年に与え続ける…
ーどんなものを?
ー小さな時は、集めて遊ぶための木の葉だったり食べるための実
 だったり。かくれんぼの相手だってしてあげた。
ー幸せな少年だね。
ーでも大きくなって世の中に出て行くようになると、かっての
 少年は段々現実的な要求を始める。
ーそりゃそうよ。いつまでもメルヘンやってられないもの。
ーうん、大人になった少年から、お金が欲しい、物を買って
 楽しみたい、と言われてりんごの木はあるだけの実を与えたんだ。
 これをお金に換えなさいってね。
ーうるわしいじゃない。
ーでも、一回受け入れちゃうと要求はどんどんエスカレートしていく。
 次は家を建てたい、と言われ木はあるだけの枝をお切りなさいって
 答える。
ー文字どおり「身を切って」与える状態になっていくのね。
ーうん、その次は旅に出たいと言われて、じゃ幹を切って船に
 しなさい、って答える。
ーええっ、じゃ木は切り株だけになっちゃうの?
ーそう、しかも働き盛りの少年は作った船で遠くに行っちゃた
 ままで、木のことなんかすっかり忘れてしまう…
ーそれじゃぁ、木はお気の毒だよね。
ーさすがの木もこれはこたえたみたいだね。
 でも老いさらばえた少年は、結局木のもとに帰ってきて
 ここで大きな慰めが木に用意されてるんだけどね。
ーそれはよかったけど、どうなったの?
ーまあそれは絵本に譲るとして、この話を読んで昔の自分の経験を
 思い出してね。
ー何?
ー中高がミッションスクールだったので宗教の時間というのがあって
 そこで「イエスさまは与えるためにお生まれになりました。」って
 何度も聞かされた。
ー「無償の愛」ってわけね。
ーでもぼくは<Give and Take>が世の中の基本と思ってたから
 これってすごくウソっぽいって感じてた。
 与えるだけって、そんなの人間の本性として不自然だよ、ってね。
ーそれはそれで分かる気がする。
ーでも今になって「与える」っていうことと「奪う」ってことを
 それぞれ独立させて考えてみると、「与える」ために生きた人は、
 その人の気持ちの中で幸せだったって思えることが確かにある気が
 する。ところが「奪って奪って」生きた人はどう考えたって
 自分を幸せとは感じられないと思うんだ。
 絵本の中に少年の気持ちは何も書いてないけど、絵がそれを
 物語っている。
ー与えて生きた人は、与えた相手じゃなく、この不思議な世界から
 大きなご褒美をもらうってことになるのかな。
 人生の神秘がここにもありそうだね。
 
大きな木
あすなろ書房刊