2012年4月2日月曜日

始まりの歌


ーものごとの始まりにとても興味がある、宇宙の始まり、生命の
 始まり…
ーなんだか茫漠とした話だね。
ー言葉の始まりも不思議じゃないか?
 最近これに関してとても面白い本を読んで目からウロコだったよ。
ーどんな本なの?
ー東大の岡ノ谷先生と小説家の小川洋子さんの対話をまとめた
 『言葉の誕生を科学する』って本。
 言葉の起源を研究する岡ノ谷先生から小川さんがスルスル
 数式を引き出すみたいに話を引き出してズンズン核心に
 迫っていくので、興奮しちゃって息もつがずに読んじゃったよ。
ー面白そうだね。で、言葉の始まりは何なの?
ー岡ノ谷先生によると歌だっていうんだ。
ー歌…? 逆じゃないの、言葉があって歌ができるんじゃないの?
ーそう思うだろ。でも言葉を使う動物は人間しかいないけど
 歌う動物は他にもいる。
 岡ノ谷先生は、人間以外では小鳥と鯨が歌うことを学べる動物
 だって言っている。
ー小鳥と鯨ねぇ。じゃ言葉の前に歌があるとして、何のために
 歌い出したのかしら?
ーそれはもう求愛以外にあり得ない。生存を確保するだけで
 ギリギリ一杯な状況なのに、それに役立たないことに
 エネルギーを使うのは、求愛、つまり子孫を残す行為しか
 考えられないんだって。
ーそうなんだ! そう言われると納得できるものがあるわね。
ー小鳥を観察してると「できる」ヤツは自分の歌を他のヤツより
 複雑化していくんだって。自分はこれだけ能力が高いんだって
 求愛の相手に示すんだって。
ー可愛いわね。でもそこからすぐ言葉には行かないよね。
ーそう、ここから言葉に行くにはまだ長いストーリーがあるん
 だけどそれは本を読んでもらうとして、ぼくはハタと
 思ったんだけど、歌は花だ!って。
ーハー?
ー植物にとって、花は自分の生存にはむしろ邪魔なものじゃないか。
 生きるエネルギーを奪いとられてしまうんだから。
 でも子孫を残す、その目的のためだけにものすごいエネルギーを
 かけて、しかもその花が選ばれるようあらゆる戦略をその中に
 埋め込んできた。
 生きてる全精力をそこに注ぎこんでるって言ってもいいほどの
 ものをね。
ー生きとし生けるもの、花や花咲け、歌や歌え!ってとこだね。
 春爛漫だ!

2012年2月26日日曜日

「祈り」展 @ 永井画廊


3月が巡ってきます。
東京・銀座「永井画廊」にて「蔡國華『祈り』」展が開催されます。
(3月1日〜3月16日まで)
詳しくは画廊HPをご参照ください。
蔡國華氏の描く「祈り」の姿を是非ご覧いただきたく存じます。

2012年1月23日月曜日

生ぎろよ!


ー毎日新聞が被災地サポート記事を集めた「希望新聞」を毎日
 はさみ込んでいて、その中で萩尾信也記者が「三陸物語」を
 長期連載しているんだけど、今の「母の遺言」の話が頭を
 離れなくてね。
ーどんな内容なの?
ー大船渡に住んでいた家族の物語なんだけど、地震が起きたとき
 年老いた両親と妹、ダウン症で全盲の娘が家に残ってた。
 津波から逃げようと、77歳のお父さんが軽自動車のエンジンを
 ふかして待ってたんだけど娘さんを落ち着かせてうまく車に
 連れていくのに時間がかかったらしいんだよ。
 74歳のお母さんにも病気があり動くのに難渋していたところに
 真っ黒な津波が防潮堤を超えて迫っているのが見えたらしい。
 お母さんは車に向かって「行げ!オラのことはいいがら。
 後ろ振り向かねで行げよ」と叫び、お父さんは車を
 急発進させた。
 お父さんは遠ざかるお母さんの最後の声をはっきり聞いた。
 「生ぎろよ!」そして「万歳!万歳!」と…
ー悲しい話だね。
ーこのわずか数十秒の間にどれほどの思いがこの場にいた人たち
 の心を行き来したか考えると、胸が締め付けられるよ。
ー阪神大震災のとき神戸で倒壊した家の下敷きになった妻を
 救い出そうと、迫り来る火の手の中必死でがれきをどかそうと
 するご主人に「お父ちゃん、もう行って、もう行って、ありがとう」
 と言った奥さんの言葉も忘れられない…
ー震災の死者何万とか言うけど、その何万という数に
 一人一人の物語を埋没させちゃいけないと思うんだよね。
 一人一人の物語を丹念にすくい上げることこそ「生きる意味」を
 考えさせてくれるんだし、それが「忘れない」ってことじゃ
 ないかな。

「三陸物語」はこちら

2011年12月24日土曜日

The Giving Tree


ー去年、本屋さんのクリスマス・プレゼント用絵本コーナーで
 シルヴァスタインの「大きな木」が目に留まったので
 つい買っちゃった。村上春樹の新訳だったからね。
ーシルヴァスタインって、どっかで聞いた気がする…
ー以前「ぼくを探しに」って絵本が話題になったよ。
 サークルが自分の欠けた部分を探しに旅をするお話。
ー「大きな木」はどんなお話なの?
ー大きなりんごの木と少年のお話。もっとも少年は最後老いぼれた
 老人になってしまうんだけどね。
ーそれで?
ー原題は<The Giving Tree>って言うんだけど、つまりりんごの木は
 自分が与えられるものを少年に与え続ける…
ーどんなものを?
ー小さな時は、集めて遊ぶための木の葉だったり食べるための実
 だったり。かくれんぼの相手だってしてあげた。
ー幸せな少年だね。
ーでも大きくなって世の中に出て行くようになると、かっての
 少年は段々現実的な要求を始める。
ーそりゃそうよ。いつまでもメルヘンやってられないもの。
ーうん、大人になった少年から、お金が欲しい、物を買って
 楽しみたい、と言われてりんごの木はあるだけの実を与えたんだ。
 これをお金に換えなさいってね。
ーうるわしいじゃない。
ーでも、一回受け入れちゃうと要求はどんどんエスカレートしていく。
 次は家を建てたい、と言われ木はあるだけの枝をお切りなさいって
 答える。
ー文字どおり「身を切って」与える状態になっていくのね。
ーうん、その次は旅に出たいと言われて、じゃ幹を切って船に
 しなさい、って答える。
ーええっ、じゃ木は切り株だけになっちゃうの?
ーそう、しかも働き盛りの少年は作った船で遠くに行っちゃた
 ままで、木のことなんかすっかり忘れてしまう…
ーそれじゃぁ、木はお気の毒だよね。
ーさすがの木もこれはこたえたみたいだね。
 でも老いさらばえた少年は、結局木のもとに帰ってきて
 ここで大きな慰めが木に用意されてるんだけどね。
ーそれはよかったけど、どうなったの?
ーまあそれは絵本に譲るとして、この話を読んで昔の自分の経験を
 思い出してね。
ー何?
ー中高がミッションスクールだったので宗教の時間というのがあって
 そこで「イエスさまは与えるためにお生まれになりました。」って
 何度も聞かされた。
ー「無償の愛」ってわけね。
ーでもぼくは<Give and Take>が世の中の基本と思ってたから
 これってすごくウソっぽいって感じてた。
 与えるだけって、そんなの人間の本性として不自然だよ、ってね。
ーそれはそれで分かる気がする。
ーでも今になって「与える」っていうことと「奪う」ってことを
 それぞれ独立させて考えてみると、「与える」ために生きた人は、
 その人の気持ちの中で幸せだったって思えることが確かにある気が
 する。ところが「奪って奪って」生きた人はどう考えたって
 自分を幸せとは感じられないと思うんだ。
 絵本の中に少年の気持ちは何も書いてないけど、絵がそれを
 物語っている。
ー与えて生きた人は、与えた相手じゃなく、この不思議な世界から
 大きなご褒美をもらうってことになるのかな。
 人生の神秘がここにもありそうだね。
 
大きな木
あすなろ書房刊

2011年11月13日日曜日

色泥棒


ー東京駅の丸の内北口地下通路の壁面に俳句の短冊がたくさん展示
 してあって気にもとめず通り過ぎてたんだけど…
ーなんだったの?
ー「地球人の心プロジェクト」というのの一環で、被災地の
 女川町立第一中学校の子どもたち211人に今年5月に書いて
 もらった俳句だった。
 これを来年、国際宇宙ステーション「きぼう」に打ち上げ
 保管するんだそうだ。
ーどんな俳句があったの?
ー例えばこんな句があった。「色泥棒」と表題してあって
 <黒い波に飲まれて消える町の色>
ーそれまでは色にあふれた美しい町だったんでしょうね。
 黒い波が一瞬にして町から色を奪っていった…
 胸をつかれるわね。
ーそよ風が海を渡っていく気持ちいい町だったんだ。
 <晴れの日は海がキラキラ宝石箱>
 <そよそよと風に吹かれてなびく海>
ーその海がたくさんの人のいのちを飲んでいってしまった…
ーそう、
 <勉強中君と笑ったあの時間>
 <会いたいな君を思って泣いた夜>
 <あたたかさその日が最後思い出す>
 <しゃぼん玉大空とんだあの人たちと>
ーつらいわね。
ーでも子どもたちはやっぱりこの町を愛してるんだ。
 <愛してたきれいな町並また見たい>
 <いつの日か再び会えるあの町に>
 きっと色にあふれた町を取り戻してくれると思う。
 <将来は小さな子供に今を伝える>
 <辛くてもあの人のために一歩ずつ>

付け足し:展示してあるのは東京駅前オアゾと新丸ビルを
  結んでいる地下通路です。
  いつまで展示されるのかわかりませんが(HPによると展示期間
  はとうの昔に終了!?)、機会があれば是非ご覧になって
  みてください。

2011年10月16日日曜日

105歳の肖像@画空間


上の絵は私の祖母、はぎの婆の肖像です。
10月17日に105歳の誕生日を迎えます。それを記念して蔡さんが
描いてくれました。明治39年、1906年生まれ。
日露戦争の直後です。くらくらするほど昔です。
普段、わがままで憎たらしいことしか言いませんが、蔡さんマジックに
かかるとあら不思議、年輪を重ねた味わい深い表情に見えます。
本人は「これオバケやがな。お子たちが怖がらはるしやめてんか。」
って言ってましたが…

現在アートスペース「画(え〜)空間」オープン記念として
「蔡國華作品展」を開催中ですが、そこにこの絵は展示されています。
他に街を行き交う様々の人の姿を描いた「旅人・何処へ」への
連作も見ることができます。
会期が21日までと後わずかですが、機会があれば是非ご覧ください。
会場の様子は下の動画でどうぞ。



2011年10月11日火曜日

蔡國華展@金井画廊


東京・京橋、金井画廊にて「蔡國華展」が開催されます!
 * 10月12日(水)〜 22日(土)
   11:00 〜 19:00 (最終日17:00まで、会期中無休)
場所等は金井画廊HPにてご確認ください。
展示スペースは同じビルの1階と3階にあります。
両方ともお見逃しなきよう!

以下、金井画廊主人、金井充氏のことばです。
<彼を支えてきたのは、絵を描き続けたいという熱情と、「孤独」を
 楽しむ精神であっただろう。「孤独」という言葉はネガティヴに
 捉えがちだが、ドイツの哲学者が「孤独は知恵の最善の乳母である」
 と唱えたように、芸術家にとっては創造性、想像力などを生み出す
 力となる。「いのち」を見つめ、それに輝きを吹き込む蔡國華の
 筆力も、濃密な「孤独」の時間によるものだと私は思う。>

あらゆる生命は自分一人で死んで行くという大仕事を背負って
生きています。蔡さんの絵にはそういう「生命」全体に対する
連帯感と同志愛が満ちています。
是非ご覧ください。

2011年10月10日月曜日

翼を得た時間


ーモーツァルトがウィーンに出てから亡くなるまで、たった
 10年だけど、この10年の間に綺羅星のような名曲を次々
 生み出してるね。6大シンフォニー、4大オペラ、
 数々のピアノソナタや弦楽四重奏曲…
ー私は何てたってピアノ協奏曲がダントツだと思う。
 第14番以降のピアノ協奏曲には駄作がひとつもないわよ。
 めくるめく音の万華鏡、感情のるつぼ、どの曲も息をつめて
 聴き入ってしまう。そして最後に来るのがあの27番だものね。
 すべてを諦めたような、悟ったような、澄み切った秋の空を
 漂っている、そんな曲。
 あの若さで、あのすごい才能で、もっともっと多くの曲を
 作って欲しかったって思いもあるけど、この曲を聴くと
 もうこれに続く曲はないよねとも思う…
ーJOBSも似てるかもしれない。
 AppleのCEOに復帰して14年。たったそれだけの年月に彼は
 iPodを出し、iPhoneを出し、iPadを出し、iTunesを始め
 今度iCloudを始めた。
ーそうね、今となっては当たり前で何とも思わないけど
 iPod以前はWalkman持ち歩いたってアルバム1枚、カセット
 1本だもんね。それが今じゃ数千曲だよ。
 重い辞書持ち歩く必要もなくなったし。
ー必要なものを持ち歩くっていうのから、取り出すってことに
 ライフスタイルを変えてしまったんだよ。
 この十数年で。すごいことだよね。もう今日は何を
 入れていって、何を置いておこうって悩むこともなくなった。
 欲しいものは欲しいときに取り出せばいいんだから。
 JOBSにはもっともっと生きて、目を見張る製品を次々出して
 欲しかったけど、なすべきことはなして亡くなったって
 気もする。
 JOBSに言われている気がするよ。さあ道具は全部揃えたから
 次は君の番だ。これを使って自分の人生をより価値あるものに
 変えていくんだ、ってね。

2011年10月2日日曜日

蔡國華展@自由が丘


10月12日(水)より、自由が丘のもみの木画廊で蔡國華展が
開催されます。
お近くにお越しの際は是非お立ち寄りください。

2011年9月21日水曜日

画空間 オープン!


京橋にあった蔡さんの「Studio CAI」が銀座に移転し、新しく
「Art Space 画空間」としてオープンしました。
「画」は「絵画の画」であり、「計画、企画の画」であり
関西ふうに読むと「え〜空間」ということでもあるそうです。
ゆる〜い「え〜空間」が一番ぴったりかも。
ここは蔡さんのアトリエ、絵画教室であるばかりでなく
展覧会などのスペース、交流の場としても利用していきたい
とのこと。
ゆっくりくつろげる憩いの場になっています。
オープン記念として現在「蔡國華作品展」開催中!
最寄駅は東京メトロ「銀座一丁目」、もちろん銀座駅からも
有楽町駅からも数分のところです。
ホテルモントレ銀座の向かいのビル、3Fです。
是非一度お出でください。