2011年10月10日月曜日
翼を得た時間
ーモーツァルトがウィーンに出てから亡くなるまで、たった
10年だけど、この10年の間に綺羅星のような名曲を次々
生み出してるね。6大シンフォニー、4大オペラ、
数々のピアノソナタや弦楽四重奏曲…
ー私は何てたってピアノ協奏曲がダントツだと思う。
第14番以降のピアノ協奏曲には駄作がひとつもないわよ。
めくるめく音の万華鏡、感情のるつぼ、どの曲も息をつめて
聴き入ってしまう。そして最後に来るのがあの27番だものね。
すべてを諦めたような、悟ったような、澄み切った秋の空を
漂っている、そんな曲。
あの若さで、あのすごい才能で、もっともっと多くの曲を
作って欲しかったって思いもあるけど、この曲を聴くと
もうこれに続く曲はないよねとも思う…
ーJOBSも似てるかもしれない。
AppleのCEOに復帰して14年。たったそれだけの年月に彼は
iPodを出し、iPhoneを出し、iPadを出し、iTunesを始め
今度iCloudを始めた。
ーそうね、今となっては当たり前で何とも思わないけど
iPod以前はWalkman持ち歩いたってアルバム1枚、カセット
1本だもんね。それが今じゃ数千曲だよ。
重い辞書持ち歩く必要もなくなったし。
ー必要なものを持ち歩くっていうのから、取り出すってことに
ライフスタイルを変えてしまったんだよ。
この十数年で。すごいことだよね。もう今日は何を
入れていって、何を置いておこうって悩むこともなくなった。
欲しいものは欲しいときに取り出せばいいんだから。
JOBSにはもっともっと生きて、目を見張る製品を次々出して
欲しかったけど、なすべきことはなして亡くなったって
気もする。
JOBSに言われている気がするよ。さあ道具は全部揃えたから
次は君の番だ。これを使って自分の人生をより価値あるものに
変えていくんだ、ってね。
2011年10月2日日曜日
2011年9月21日水曜日
画空間 オープン!
京橋にあった蔡さんの「Studio CAI」が銀座に移転し、新しく
「Art Space 画空間」としてオープンしました。
「画」は「絵画の画」であり、「計画、企画の画」であり
関西ふうに読むと「え〜空間」ということでもあるそうです。
ゆる〜い「え〜空間」が一番ぴったりかも。
ここは蔡さんのアトリエ、絵画教室であるばかりでなく
展覧会などのスペース、交流の場としても利用していきたい
とのこと。
ゆっくりくつろげる憩いの場になっています。
オープン記念として現在「蔡國華作品展」開催中!
最寄駅は東京メトロ「銀座一丁目」、もちろん銀座駅からも
有楽町駅からも数分のところです。
ホテルモントレ銀座の向かいのビル、3Fです。
是非一度お出でください。
2011年9月11日日曜日
この夏の行方
ー節電の夏も終わりだね。終わってみるとそんなに
大変だとか不自由したとか、そんな感覚ないのに
電力使用量が90%を超えることもほどんどなかったね。
ーこれで終わりだと思っちゃいけないよ。
本当に大事なのはこれからだから。
ーもちろん節電はずっとしていかなきゃいけないってことは
わかってるよ。
ーさっき不自由じゃなかったって言ったろ。今までは別に
使わなくてもいいエネルギーを、無自覚にじゃんじゃん
使ってたんだ。電車や建物の空調は28°にしてくれた方が
自分の体にもありがたいし、夜の街が暗くたって慣れれば
こういうもんだと思えるしね。
ー今まで省エネ、省エネって言ってたけど何の切迫感も
なかったからね。
ー日本ほど日常生活のあらゆる場面を自動化しちゃってる
社会はないんだから。街を歩けばどんなところも自動ドアに
なってて端から端まで手を使わずに歩けるし、トイレと
いうトイレが自動水栓で手をかざせば水が出る。
ーそれがサービスだと勘違いしてたね。
ー夜になればオフィスも街も家庭も煌々と明かりが点いて
いるのが進んだ文明社会だと思っていた。
夜の衛星写真を見ると、日本の太平洋沿岸が世界中で一番
明るく光り輝いていてちょっと嬉しい気分になったけど
今ではそのことが恥ずかしく思えるよ。
ーあまりに無邪気だったね。世界中で一番地震リスクの高い
太平洋岸に原発を並べて、その電気で一番明るく輝いて
悦に入ってるなんてね。
ーこれからは一人一人がこれは使っていいエネルギー?
使わなくていいエネルギー?って考えて行動しないと
いけないと思う。
それがぼくらの原罪に対する最初の償いだよ。
2011年7月17日日曜日
祇園祭と貞観地震
ー今日は京都、祇園祭の山鉾巡行やったね。
ーえらい暑かったやろな。
ーそういえば祇園祭の起源について面白い記事が載ってたよ。
なんでも平安時代の貞観地震と関係があったんやて。
ー貞観地震って、今度の震災で話題になったよね。
あんな大津波は貞観地震まで遡らんとなかったことで
しかも古文書ひっくり返してやっとわかるようなことやから
福一で大津波を想定してなかったとしても、それは仕方のない
ことやいう理由づけしてたね。
ーそらぼくらも貞観地震なんて知らんかったけど、遠く離れた
都で大掛かりな祭りの起源になるほど当時は国家の一大事
やったはずで、国の史書にも惨状が詳しく書かれてるらしい。
古文書をひっくり返さんとわからへんようなもんとちごて
ちょっと歴史を勉強した人やったらみんな知ってる
出来事とちごたんかな。
ー結局知りとうないことは知ろうとせんかったちゅうことやろ。
全電源喪失の危険性かて、考えとうないことは考えようと
せんかった。
危ない可能性はもともと想定外になってるから、原発は
とても安全で経済的なもんになってた。
ー昔の人は地震とか疫病とか自然の災厄が起きると、何か
のたたりや考えてその怒りを鎮めようと一生懸命おはらいとか
したわけやろ。そんな行為を迷信やいうて笑うのは簡単やけど
自然を畏怖する気持ち、その前で敬虔になる気持ち、人間も
その一部やいう謙虚な気持ちは取り戻さんとあかんの
ちゃうかなぁ。
2011年7月4日月曜日
神の領域
ー今度の原発事故がなければ一生考えずにすましていたことを
にわか勉強をしてるよ。
ー何なの?
ー原発ってどこからエネルギーを引っぱり出してるか知ってる?
ー核分裂によって生じるエネルギーじゃないの?
ー簡単に言っちゃうとそうだけと、煎じ詰めるとウラン235という
原子を核分裂反応させたときに生じるエネルギーなんだよね。
ーでもどうして核分裂でエネルギーが生まれるのかしら?
ーそれがとってもキモいとこなんだよ。ウラン235が核分裂すると
他の原子に変わったり、中性子が飛び出たりする。
そして奇妙なことに分裂前の原子の質量と分裂後生成した原子や
中性子の質量の総量を比べると分裂後の質量の総量のほうが
分裂前より小さいというんだ。
ーアレ、質量不変の法則とかそういうのなかったっけ?
物体が様々に形を変えても、質量の総量は変わらないって。
ーアインシュタインの相対性理論で理論的に証明されてること
らしいんだけど、それは実は質量・エネルギー不変というべき
ものらしい。
ウラン235の場合分裂して減じた質量はエネルギーに姿を変えたって
わけだ。質量がエネルギーに姿を変えるとき、それは莫大な
エネルギー量になるらしいんだよね。
ー何だか空恐ろしい話だわね。
で、問題になっている放射能はどこから出てくるの?
ーこれは核分裂して違う原子になるとき、必然的にα線とγ線とか
中性子線とか、そういう放射線を発する物質が出来るってこと
みたいなんだ。
ー核分裂させた以上避けようがないわけね。
ー核分裂って理論や数式の上では確かにあり得ることで、実際
これを利用してエネルギーを取り出してるわけだけど、
でも自然のノーマルな状態の中では起こらないことだよね。
通常ではあり得ない異常な環境を無理に作らないと起こりえない。
これって多分宇宙の生成と関係しているような、生命とは全く
相容れない異様な環境なんだよ。
こういう環境を人間自らの手で作り出すというのは、生命としての
摂理に反しているとしか思えないけどね。
ーそうね、生き物というのは自分の身に危険が迫ると五感でそれを
察知できるようになっているものでしょ。
生命に危害が迫っていても、それを全く感じられないような
ものとはどう考えたって共存できないわね。
2011年6月19日日曜日
2011年6月13日月曜日
非現実的な夢想家
ーん、このタイトルは…
ーそう、村上春樹さんがカタロニア国際賞受賞スピーチで
使っていた言葉。
ー日本で原発に疑問を呈する人は、経済の現実を直視しない
「非現実的な夢想家」というレッテルを貼られてしまう、
という文脈で使われていたわね。
ーそうだけど、ここではこの言葉を少し違う文脈で使ってみたい。
ーというと?
ー温暖化防止の国際公約として、鳩山さんがCO2、25%削減を
ぶち上げたよね。
ー今となっては達成が絶望視されている目標ね。
ー現実的な人は当初からこの数字に懐疑的だったけど、
民主党政権交代の象徴的数字として拍手喝采する人も多かった。
ー何も具体的根拠はなかったけど、エコ家電にどんどん取り替えて
HVやEVを大量に導入して、風力や太陽光の発電を推進していけば
日本ならやれるんじゃないの、ってムードもあったよね。
ーその上東電自体が大量に広告を投入してオール電化って煽ってたし、
我々自身楽しくエコして明るい未来が開けるような錯覚に
陥っていた。
ーその意味でみんな「非現実的な夢想家」だったってことね。
ーみんなじゃない、そのウラで現実的な企業家や政治屋はとんでも
ないシナリオを用意していた。
ーどういうこと。
ーつまり現実的な人が用意した25%削減達成の切り札は原発14基
増設ということだったんだ。
ー25%が葵の御紋になって原発を堂々と作れるってことね。
ー堂々と大金を落としてもらえるし、利権を手に入れられるって
ことだよ。
ー空恐ろしい話だわね。
ー空恐ろしい話に危うく乗りかけてた。福島の人たちのあれだけの
犠牲があってようやく目が覚めた。
これって恥ずかしいことだよ。
ーでも電力がないと経済も暮らしも困ったことになるのも事実
よね。
ーだからふんばらないといけない。福島であれだけ血が流れている
のに、ぼくらが無傷でいていいはずがない。
一人一人、どんな暮らしをするか、どんな生き方をするか
身を削って考え実践していかないと。
村上さんの言葉で言えば「素朴で黙々とした、忍耐を必要とする
手仕事」を我々一人一人が始めないといけないんだと思う。
ご参考まで:村上氏の受賞スピーチ 動画、テキスト
2011年6月6日月曜日
「歓び」を感じる心
大震災から今まで、多くの人が心打つ言葉を話されてきました。
今日はそれらの中から、私が感動し是非書き残して記憶に留めて
おきたいと感じたスピーチを2つ紹介させていただきます。
最初は私の出身大学の現学長でロシア文学者(ドストエフスキー作品の
新訳が話題になりました)亀山郁夫先生の大学入学式式辞です。
同窓会報に掲載されたその一部を引用させていただきます:
<今年3月、私たちの日本は、もはや決して忘れることのできない災厄
を経験しました。状況は今もって予断を許さないところにあります。
この、未曾有の事態をまのあたりにして、私たちはいま呆然とし、
自信を失い、将来にたいして強い不安を感じています。
私自身も、つよい無力感にとらえれました。
しかしその一方、「生きてここにある」ということのかけがえのない
意味に目覚め、「生きてある」という事実そのものが、ひとつの
恩寵であり、ひとつの奇跡であるといった感慨を抱いた人々も
少なくないはずです。ただし、人間の生命は、それ自体では決して
「恩寵」にも「奇跡」にもなりえないものだと思います。
深く豊かに「歓び」を感じる心を持ってこそ、生命は真の価値を
放つ、と私は信じています。
また、「歓び」を経験できる心がなければ、私たちの傍らで傷つき、
苦しむ人たちとともに苦しむ、「共苦」の精神も生まれないはずです。
そしていま私たちに残されている責務とは、「忘れない」という
態度です。それは、個々人にとっての決意であると同時に務めであり、
試練でもあると思います。>
「生命の真の価値を放つ」「歓び」の心はどこから沸き起こって
くるか、それは次のスピーチがヒントをくれると思います。
楽天の主将、嶋選手のKスタ宮城開幕試合でのスピーチです。
「誰かのために闘う人間は強い。」
そして「誰かのために闘う人間」にこそ「生命の真の価値を放つ」
「歓び」は開かれている。今は強くそう思うのです。
2011年5月22日日曜日
「までい」の村
ー八重洲にある福島県の観光交流館で
「幻の酒」になるかもしれない大吟醸
「飯館」を売り出すって聞いたから
一にも二にも買いに行かなくちゃって、
買って来たよ。
ーよかったね、買えて。
ーそのとき飯館村の観光パンフあった
からもらって来た。ほら、これ。
ー健康優良児2人って感じだね。見るから
にほのぼのとしたいい村!
ーこの地に「までい」ってことばがある
らしい。中にこう書いてある。
["までい"とは私たちの暮らしに古く
から寄り添う言葉。「時間をかけて」
「手間ひま惜しまず」「丁寧に」
「じっくりと」…といった意味が
あります。来るたびに味わい深まる
飯舘村で"までい"の心を感じて
ください。]
ーなるほど、この子たちも「までい」に育てられたんだね。
きっとお米もお酒も「までい」に作られ、牛たちも「までい」に
世話されてきたんだ。
ー何代にもわたって「までい」の村が作られてきたんだよ。
それが今度の一事でもって突然村を出て行かなきゃならなく
なって…
ーつらいよね。
ーそのことに、ぼくらが無意識にしろ片棒をかついでたって
考えるのはもっとつらい。
ー自粛はやめよう、って言うけど、この子たちにつらい思いを
させている何万分の一かは自分たちにも責任があると思うと
無邪気に元の日常には戻れないわね。
ー少なくともこの子たちが、今までどおり「までい」の村で
「までい」の生活を取り戻せるまで、ぼくたちはその痛みを
忘れるわけにはいかないし、自分たちの生活も変えて
いかないとね。
「幻の酒」になるかもしれない大吟醸
「飯館」を売り出すって聞いたから
一にも二にも買いに行かなくちゃって、
買って来たよ。
ーよかったね、買えて。
ーそのとき飯館村の観光パンフあった
からもらって来た。ほら、これ。
ー健康優良児2人って感じだね。見るから
にほのぼのとしたいい村!
ーこの地に「までい」ってことばがある
らしい。中にこう書いてある。
["までい"とは私たちの暮らしに古く
から寄り添う言葉。「時間をかけて」
「手間ひま惜しまず」「丁寧に」
「じっくりと」…といった意味が
あります。来るたびに味わい深まる
飯舘村で"までい"の心を感じて
ください。]
ーなるほど、この子たちも「までい」に育てられたんだね。
きっとお米もお酒も「までい」に作られ、牛たちも「までい」に
世話されてきたんだ。
ー何代にもわたって「までい」の村が作られてきたんだよ。
それが今度の一事でもって突然村を出て行かなきゃならなく
なって…
ーつらいよね。
ーそのことに、ぼくらが無意識にしろ片棒をかついでたって
考えるのはもっとつらい。
ー自粛はやめよう、って言うけど、この子たちにつらい思いを
させている何万分の一かは自分たちにも責任があると思うと
無邪気に元の日常には戻れないわね。
ー少なくともこの子たちが、今までどおり「までい」の村で
「までい」の生活を取り戻せるまで、ぼくたちはその痛みを
忘れるわけにはいかないし、自分たちの生活も変えて
いかないとね。
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