ー永井画廊の蔡さんの個展が終わったわね。
ー終わっちゃうと淋しいね。
ー展示されていた作品に「糧」という作品があったじゃない。
革表紙でいかにも重々しくて、西洋の昔のお屋敷の壁を
占めていたような古書が何冊か積まれている作品。
あれを見て「糧」ってなんだろうかって考えちゃった。
ー本に書かれた情報が「糧」になるかっていうと、そんな
ことはないよね。「糧」っていうのは「生きる糧」って
意味だろうから。
ーじゃ、何が生きる糧になるのかしらね。
ーみんな自分が生きている意味を知りたいじゃないか。
一体自分は何で生きてるんだろうってね。
そのことを考え、考え、探しに探しているときに、
別の人がやっぱりそのことを、もっともっと深く鋭く
考えているのに出会うと、自分の中の何かの成分が化学反応を
起こして「生きる糧」になるんじゃないかな。
ー本が「糧」なんじゃなくて、それを書いた人が生きる意味を
考えに考えてくれたこと、それが「糧」ってことだよね。
考えに考えた足跡のエッセンスが糧になるってことよね。
ーそう、だから考えに考えられた足跡だったら何だって糧になる。
ー蔡さんの絵も。
ー「何来何去」なんて、何年にも渡って、考えに考えられている
足跡そのものの作品だからね。「自分はどこからやってきたんだ?
自分は何者でどこに行こうとしているのか?」そのテーマの中に
生命の誕生以来途切れることなく自分にまで続いてきたいのちの
流れの不思議、同じ時代を生きる70億人の同朋のひとりとして
自分が存在することの意味を問い続けようという決意が
表れているじゃないか。
ーこういう言い方すると不謹慎かもしれないけど、蔡さんの
命尽きるまで「何来何去」は描き続けてほしいわね。