2011年4月17日日曜日

私も「許容していた」

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』が話題になった歴史学者
加藤陽子氏が毎日新聞に『原発を「許容していた」私』と題して
コラムを寄稿されています。
そう、私自身も「許容していた」。その罪を思わざるを得ません。

原発が人の命と暮らしを脅かす危険をはらんでいるのを知りながら
安全神話を信じ込み、過剰に快適な生活を当然のこととして
享受してきた罪。
そして自分の人生でさえ真剣に背負ってきたとは感じられない
薄っぺらでその場しのぎの人たちに、何万もの人たちの
いのちと人生を委ねてきてしまった罪。

東電幹部、原子力安全・保安院、原子力安全委員会等の
記者会見を見るにつけ、原発を推進してきたこうした人たちの
無責任なもの言いに憤りを感じる方は多いと思います。
まるで日々の株価の変動を解説しているような会見。
「官僚的」答弁そのままの応答。保身、組織防衛、責任転嫁。
人のいのちのことなどかけらも考えてないことを、日々
見せつけられている。
原発という危険きわまりないものを推進している人たちが
こんな薄っぺらな人たちだとどうして気づかなかったのか。

そして何よりも腹立たしいのは、本来、こういう大組織の論理
でしか動かない人たちに対して、もの言わぬ市井の多くの人の
代弁者となって、人のいのちと暮らしを守る尖兵の役割を
果たさねばならないはずの政治家が、その役割を何も果たして
いないこと。

困っている人、苦しんでいる人、命をおびやかされている人たち
が何を一番望んでいるのか、欲しているのか、それを何よりも
優先するのが全うな政治家であるはずなのに、与党・野党を
通じてどこにもそんな政治家が見当たらない事。

どうしてこんな人たちを選んできたのか…
誰を選んでも同じなんて、とんでもない間違いだった。
口先だけの薄っぺらな人を選ぶのは、何かことが起こったとき
命を失うことと直結している。
こういう事態になってそのことを初めて思い知った。
無自覚に「許容」していてはいけない。
払った代償はあまりに大きかったですが、これからはこのことを
深く胸に刻み込んで、生きていかねばと思うのです。