2011年12月24日土曜日

The Giving Tree


ー去年、本屋さんのクリスマス・プレゼント用絵本コーナーで
 シルヴァスタインの「大きな木」が目に留まったので
 つい買っちゃった。村上春樹の新訳だったからね。
ーシルヴァスタインって、どっかで聞いた気がする…
ー以前「ぼくを探しに」って絵本が話題になったよ。
 サークルが自分の欠けた部分を探しに旅をするお話。
ー「大きな木」はどんなお話なの?
ー大きなりんごの木と少年のお話。もっとも少年は最後老いぼれた
 老人になってしまうんだけどね。
ーそれで?
ー原題は<The Giving Tree>って言うんだけど、つまりりんごの木は
 自分が与えられるものを少年に与え続ける…
ーどんなものを?
ー小さな時は、集めて遊ぶための木の葉だったり食べるための実
 だったり。かくれんぼの相手だってしてあげた。
ー幸せな少年だね。
ーでも大きくなって世の中に出て行くようになると、かっての
 少年は段々現実的な要求を始める。
ーそりゃそうよ。いつまでもメルヘンやってられないもの。
ーうん、大人になった少年から、お金が欲しい、物を買って
 楽しみたい、と言われてりんごの木はあるだけの実を与えたんだ。
 これをお金に換えなさいってね。
ーうるわしいじゃない。
ーでも、一回受け入れちゃうと要求はどんどんエスカレートしていく。
 次は家を建てたい、と言われ木はあるだけの枝をお切りなさいって
 答える。
ー文字どおり「身を切って」与える状態になっていくのね。
ーうん、その次は旅に出たいと言われて、じゃ幹を切って船に
 しなさい、って答える。
ーええっ、じゃ木は切り株だけになっちゃうの?
ーそう、しかも働き盛りの少年は作った船で遠くに行っちゃた
 ままで、木のことなんかすっかり忘れてしまう…
ーそれじゃぁ、木はお気の毒だよね。
ーさすがの木もこれはこたえたみたいだね。
 でも老いさらばえた少年は、結局木のもとに帰ってきて
 ここで大きな慰めが木に用意されてるんだけどね。
ーそれはよかったけど、どうなったの?
ーまあそれは絵本に譲るとして、この話を読んで昔の自分の経験を
 思い出してね。
ー何?
ー中高がミッションスクールだったので宗教の時間というのがあって
 そこで「イエスさまは与えるためにお生まれになりました。」って
 何度も聞かされた。
ー「無償の愛」ってわけね。
ーでもぼくは<Give and Take>が世の中の基本と思ってたから
 これってすごくウソっぽいって感じてた。
 与えるだけって、そんなの人間の本性として不自然だよ、ってね。
ーそれはそれで分かる気がする。
ーでも今になって「与える」っていうことと「奪う」ってことを
 それぞれ独立させて考えてみると、「与える」ために生きた人は、
 その人の気持ちの中で幸せだったって思えることが確かにある気が
 する。ところが「奪って奪って」生きた人はどう考えたって
 自分を幸せとは感じられないと思うんだ。
 絵本の中に少年の気持ちは何も書いてないけど、絵がそれを
 物語っている。
ー与えて生きた人は、与えた相手じゃなく、この不思議な世界から
 大きなご褒美をもらうってことになるのかな。
 人生の神秘がここにもありそうだね。
 
大きな木
あすなろ書房刊

2011年11月13日日曜日

色泥棒


ー東京駅の丸の内北口地下通路の壁面に俳句の短冊がたくさん展示
 してあって気にもとめず通り過ぎてたんだけど…
ーなんだったの?
ー「地球人の心プロジェクト」というのの一環で、被災地の
 女川町立第一中学校の子どもたち211人に今年5月に書いて
 もらった俳句だった。
 これを来年、国際宇宙ステーション「きぼう」に打ち上げ
 保管するんだそうだ。
ーどんな俳句があったの?
ー例えばこんな句があった。「色泥棒」と表題してあって
 <黒い波に飲まれて消える町の色>
ーそれまでは色にあふれた美しい町だったんでしょうね。
 黒い波が一瞬にして町から色を奪っていった…
 胸をつかれるわね。
ーそよ風が海を渡っていく気持ちいい町だったんだ。
 <晴れの日は海がキラキラ宝石箱>
 <そよそよと風に吹かれてなびく海>
ーその海がたくさんの人のいのちを飲んでいってしまった…
ーそう、
 <勉強中君と笑ったあの時間>
 <会いたいな君を思って泣いた夜>
 <あたたかさその日が最後思い出す>
 <しゃぼん玉大空とんだあの人たちと>
ーつらいわね。
ーでも子どもたちはやっぱりこの町を愛してるんだ。
 <愛してたきれいな町並また見たい>
 <いつの日か再び会えるあの町に>
 きっと色にあふれた町を取り戻してくれると思う。
 <将来は小さな子供に今を伝える>
 <辛くてもあの人のために一歩ずつ>

付け足し:展示してあるのは東京駅前オアゾと新丸ビルを
  結んでいる地下通路です。
  いつまで展示されるのかわかりませんが(HPによると展示期間
  はとうの昔に終了!?)、機会があれば是非ご覧になって
  みてください。

2011年10月16日日曜日

105歳の肖像@画空間


上の絵は私の祖母、はぎの婆の肖像です。
10月17日に105歳の誕生日を迎えます。それを記念して蔡さんが
描いてくれました。明治39年、1906年生まれ。
日露戦争の直後です。くらくらするほど昔です。
普段、わがままで憎たらしいことしか言いませんが、蔡さんマジックに
かかるとあら不思議、年輪を重ねた味わい深い表情に見えます。
本人は「これオバケやがな。お子たちが怖がらはるしやめてんか。」
って言ってましたが…

現在アートスペース「画(え〜)空間」オープン記念として
「蔡國華作品展」を開催中ですが、そこにこの絵は展示されています。
他に街を行き交う様々の人の姿を描いた「旅人・何処へ」への
連作も見ることができます。
会期が21日までと後わずかですが、機会があれば是非ご覧ください。
会場の様子は下の動画でどうぞ。



2011年10月11日火曜日

蔡國華展@金井画廊


東京・京橋、金井画廊にて「蔡國華展」が開催されます!
 * 10月12日(水)〜 22日(土)
   11:00 〜 19:00 (最終日17:00まで、会期中無休)
場所等は金井画廊HPにてご確認ください。
展示スペースは同じビルの1階と3階にあります。
両方ともお見逃しなきよう!

以下、金井画廊主人、金井充氏のことばです。
<彼を支えてきたのは、絵を描き続けたいという熱情と、「孤独」を
 楽しむ精神であっただろう。「孤独」という言葉はネガティヴに
 捉えがちだが、ドイツの哲学者が「孤独は知恵の最善の乳母である」
 と唱えたように、芸術家にとっては創造性、想像力などを生み出す
 力となる。「いのち」を見つめ、それに輝きを吹き込む蔡國華の
 筆力も、濃密な「孤独」の時間によるものだと私は思う。>

あらゆる生命は自分一人で死んで行くという大仕事を背負って
生きています。蔡さんの絵にはそういう「生命」全体に対する
連帯感と同志愛が満ちています。
是非ご覧ください。

2011年10月10日月曜日

翼を得た時間


ーモーツァルトがウィーンに出てから亡くなるまで、たった
 10年だけど、この10年の間に綺羅星のような名曲を次々
 生み出してるね。6大シンフォニー、4大オペラ、
 数々のピアノソナタや弦楽四重奏曲…
ー私は何てたってピアノ協奏曲がダントツだと思う。
 第14番以降のピアノ協奏曲には駄作がひとつもないわよ。
 めくるめく音の万華鏡、感情のるつぼ、どの曲も息をつめて
 聴き入ってしまう。そして最後に来るのがあの27番だものね。
 すべてを諦めたような、悟ったような、澄み切った秋の空を
 漂っている、そんな曲。
 あの若さで、あのすごい才能で、もっともっと多くの曲を
 作って欲しかったって思いもあるけど、この曲を聴くと
 もうこれに続く曲はないよねとも思う…
ーJOBSも似てるかもしれない。
 AppleのCEOに復帰して14年。たったそれだけの年月に彼は
 iPodを出し、iPhoneを出し、iPadを出し、iTunesを始め
 今度iCloudを始めた。
ーそうね、今となっては当たり前で何とも思わないけど
 iPod以前はWalkman持ち歩いたってアルバム1枚、カセット
 1本だもんね。それが今じゃ数千曲だよ。
 重い辞書持ち歩く必要もなくなったし。
ー必要なものを持ち歩くっていうのから、取り出すってことに
 ライフスタイルを変えてしまったんだよ。
 この十数年で。すごいことだよね。もう今日は何を
 入れていって、何を置いておこうって悩むこともなくなった。
 欲しいものは欲しいときに取り出せばいいんだから。
 JOBSにはもっともっと生きて、目を見張る製品を次々出して
 欲しかったけど、なすべきことはなして亡くなったって
 気もする。
 JOBSに言われている気がするよ。さあ道具は全部揃えたから
 次は君の番だ。これを使って自分の人生をより価値あるものに
 変えていくんだ、ってね。

2011年10月2日日曜日

蔡國華展@自由が丘


10月12日(水)より、自由が丘のもみの木画廊で蔡國華展が
開催されます。
お近くにお越しの際は是非お立ち寄りください。

2011年9月21日水曜日

画空間 オープン!


京橋にあった蔡さんの「Studio CAI」が銀座に移転し、新しく
「Art Space 画空間」としてオープンしました。
「画」は「絵画の画」であり、「計画、企画の画」であり
関西ふうに読むと「え〜空間」ということでもあるそうです。
ゆる〜い「え〜空間」が一番ぴったりかも。
ここは蔡さんのアトリエ、絵画教室であるばかりでなく
展覧会などのスペース、交流の場としても利用していきたい
とのこと。
ゆっくりくつろげる憩いの場になっています。
オープン記念として現在「蔡國華作品展」開催中!
最寄駅は東京メトロ「銀座一丁目」、もちろん銀座駅からも
有楽町駅からも数分のところです。
ホテルモントレ銀座の向かいのビル、3Fです。
是非一度お出でください。

2011年9月11日日曜日

この夏の行方


ー節電の夏も終わりだね。終わってみるとそんなに
 大変だとか不自由したとか、そんな感覚ないのに
 電力使用量が90%を超えることもほどんどなかったね。
ーこれで終わりだと思っちゃいけないよ。
 本当に大事なのはこれからだから。
ーもちろん節電はずっとしていかなきゃいけないってことは
 わかってるよ。
ーさっき不自由じゃなかったって言ったろ。今までは別に
 使わなくてもいいエネルギーを、無自覚にじゃんじゃん
 使ってたんだ。電車や建物の空調は28°にしてくれた方が
 自分の体にもありがたいし、夜の街が暗くたって慣れれば
 こういうもんだと思えるしね。
ー今まで省エネ、省エネって言ってたけど何の切迫感も
 なかったからね。
ー日本ほど日常生活のあらゆる場面を自動化しちゃってる
 社会はないんだから。街を歩けばどんなところも自動ドアに
 なってて端から端まで手を使わずに歩けるし、トイレと
 いうトイレが自動水栓で手をかざせば水が出る。
ーそれがサービスだと勘違いしてたね。
ー夜になればオフィスも街も家庭も煌々と明かりが点いて
 いるのが進んだ文明社会だと思っていた。
 夜の衛星写真を見ると、日本の太平洋沿岸が世界中で一番
 明るく光り輝いていてちょっと嬉しい気分になったけど
 今ではそのことが恥ずかしく思えるよ。
ーあまりに無邪気だったね。世界中で一番地震リスクの高い
 太平洋岸に原発を並べて、その電気で一番明るく輝いて
 悦に入ってるなんてね。
ーこれからは一人一人がこれは使っていいエネルギー?
 使わなくていいエネルギー?って考えて行動しないと
 いけないと思う。
 それがぼくらの原罪に対する最初の償いだよ。
 

2011年7月17日日曜日

祇園祭と貞観地震


ー今日は京都、祇園祭の山鉾巡行やったね。
ーえらい暑かったやろな。
ーそういえば祇園祭の起源について面白い記事が載ってたよ。
 なんでも平安時代の貞観地震と関係があったんやて。
ー貞観地震って、今度の震災で話題になったよね。
 あんな大津波は貞観地震まで遡らんとなかったことで
 しかも古文書ひっくり返してやっとわかるようなことやから
 福一で大津波を想定してなかったとしても、それは仕方のない
 ことやいう理由づけしてたね。
ーそらぼくらも貞観地震なんて知らんかったけど、遠く離れた
 都で大掛かりな祭りの起源になるほど当時は国家の一大事
 やったはずで、国の史書にも惨状が詳しく書かれてるらしい。
 古文書をひっくり返さんとわからへんようなもんとちごて
 ちょっと歴史を勉強した人やったらみんな知ってる
 出来事とちごたんかな。
ー結局知りとうないことは知ろうとせんかったちゅうことやろ。
 全電源喪失の危険性かて、考えとうないことは考えようと
 せんかった。
 危ない可能性はもともと想定外になってるから、原発は
 とても安全で経済的なもんになってた。
ー昔の人は地震とか疫病とか自然の災厄が起きると、何か
 のたたりや考えてその怒りを鎮めようと一生懸命おはらいとか
 したわけやろ。そんな行為を迷信やいうて笑うのは簡単やけど
 自然を畏怖する気持ち、その前で敬虔になる気持ち、人間も
 その一部やいう謙虚な気持ちは取り戻さんとあかんの
 ちゃうかなぁ。

2011年7月4日月曜日

神の領域


ー今度の原発事故がなければ一生考えずにすましていたことを
 にわか勉強をしてるよ。
ー何なの?
ー原発ってどこからエネルギーを引っぱり出してるか知ってる?
ー核分裂によって生じるエネルギーじゃないの?
ー簡単に言っちゃうとそうだけと、煎じ詰めるとウラン235という
 原子を核分裂反応させたときに生じるエネルギーなんだよね。
ーでもどうして核分裂でエネルギーが生まれるのかしら?
ーそれがとってもキモいとこなんだよ。ウラン235が核分裂すると
 他の原子に変わったり、中性子が飛び出たりする。
 そして奇妙なことに分裂前の原子の質量と分裂後生成した原子や
 中性子の質量の総量を比べると分裂後の質量の総量のほうが
 分裂前より小さいというんだ。
ーアレ、質量不変の法則とかそういうのなかったっけ?
 物体が様々に形を変えても、質量の総量は変わらないって。
ーアインシュタインの相対性理論で理論的に証明されてること
 らしいんだけど、それは実は質量・エネルギー不変というべき
 ものらしい。
 ウラン235の場合分裂して減じた質量はエネルギーに姿を変えたって
 わけだ。質量がエネルギーに姿を変えるとき、それは莫大な
 エネルギー量になるらしいんだよね。
ー何だか空恐ろしい話だわね。
 で、問題になっている放射能はどこから出てくるの?
ーこれは核分裂して違う原子になるとき、必然的にα線とγ線とか
 中性子線とか、そういう放射線を発する物質が出来るってこと
 みたいなんだ。
ー核分裂させた以上避けようがないわけね。
ー核分裂って理論や数式の上では確かにあり得ることで、実際
 これを利用してエネルギーを取り出してるわけだけど、
 でも自然のノーマルな状態の中では起こらないことだよね。
 通常ではあり得ない異常な環境を無理に作らないと起こりえない。
 これって多分宇宙の生成と関係しているような、生命とは全く
 相容れない異様な環境なんだよ。
 こういう環境を人間自らの手で作り出すというのは、生命としての
 摂理に反しているとしか思えないけどね。
ーそうね、生き物というのは自分の身に危険が迫ると五感でそれを
 察知できるようになっているものでしょ。
 生命に危害が迫っていても、それを全く感じられないような
 ものとはどう考えたって共存できないわね。

2011年6月19日日曜日

蔡國華展のご案内


銀座、ギャラリー・しらみず美術で蔡國華展が開催されます。

 * 6月24日(金)〜 7月5日(火)
   12:00〜18:30 日曜休廊 最終日17:00まで
 * ギャラリー・しらみず美術
   中央区銀座5-3-12 壱番館ビル$4F
   ☎ 03-3575-0013

女性像の新作が中心になります。
どうかご覧になって、ひとときの安らぎをお感じになってください。


大きな地図で見る

2011年6月13日月曜日

非現実的な夢想家


ーん、このタイトルは…
ーそう、村上春樹さんがカタロニア国際賞受賞スピーチで
 使っていた言葉。
ー日本で原発に疑問を呈する人は、経済の現実を直視しない
 「非現実的な夢想家」というレッテルを貼られてしまう、
 という文脈で使われていたわね。
ーそうだけど、ここではこの言葉を少し違う文脈で使ってみたい。
ーというと?
ー温暖化防止の国際公約として、鳩山さんがCO2、25%削減を
 ぶち上げたよね。
ー今となっては達成が絶望視されている目標ね。
ー現実的な人は当初からこの数字に懐疑的だったけど、
 民主党政権交代の象徴的数字として拍手喝采する人も多かった。
ー何も具体的根拠はなかったけど、エコ家電にどんどん取り替えて
 HVやEVを大量に導入して、風力や太陽光の発電を推進していけば
 日本ならやれるんじゃないの、ってムードもあったよね。
ーその上東電自体が大量に広告を投入してオール電化って煽ってたし、
 我々自身楽しくエコして明るい未来が開けるような錯覚に
 陥っていた。
ーその意味でみんな「非現実的な夢想家」だったってことね。
ーみんなじゃない、そのウラで現実的な企業家や政治屋はとんでも
 ないシナリオを用意していた。
ーどういうこと。
ーつまり現実的な人が用意した25%削減達成の切り札は原発14基
 増設ということだったんだ。
ー25%が葵の御紋になって原発を堂々と作れるってことね。
ー堂々と大金を落としてもらえるし、利権を手に入れられるって
 ことだよ。
ー空恐ろしい話だわね。
ー空恐ろしい話に危うく乗りかけてた。福島の人たちのあれだけの
 犠牲があってようやく目が覚めた。
 これって恥ずかしいことだよ。
ーでも電力がないと経済も暮らしも困ったことになるのも事実
 よね。
ーだからふんばらないといけない。福島であれだけ血が流れている
 のに、ぼくらが無傷でいていいはずがない。
 一人一人、どんな暮らしをするか、どんな生き方をするか
 身を削って考え実践していかないと。
 村上さんの言葉で言えば「素朴で黙々とした、忍耐を必要とする
 手仕事」を我々一人一人が始めないといけないんだと思う。

ご参考まで:村上氏の受賞スピーチ 動画テキスト

2011年6月6日月曜日

「歓び」を感じる心


大震災から今まで、多くの人が心打つ言葉を話されてきました。
今日はそれらの中から、私が感動し是非書き残して記憶に留めて
おきたいと感じたスピーチを2つ紹介させていただきます。

最初は私の出身大学の現学長でロシア文学者(ドストエフスキー作品の
新訳が話題になりました)亀山郁夫先生の大学入学式式辞です。
同窓会報に掲載されたその一部を引用させていただきます:

<今年3月、私たちの日本は、もはや決して忘れることのできない災厄
を経験しました。状況は今もって予断を許さないところにあります。
この、未曾有の事態をまのあたりにして、私たちはいま呆然とし、
自信を失い、将来にたいして強い不安を感じています。
私自身も、つよい無力感にとらえれました。
しかしその一方、「生きてここにある」ということのかけがえのない
意味に目覚め、「生きてある」という事実そのものが、ひとつの
恩寵であり、ひとつの奇跡であるといった感慨を抱いた人々も
少なくないはずです。ただし、人間の生命は、それ自体では決して
「恩寵」にも「奇跡」にもなりえないものだと思います。
深く豊かに「歓び」を感じる心を持ってこそ、生命は真の価値を
放つ、と私は信じています。
また、「歓び」を経験できる心がなければ、私たちの傍らで傷つき、
苦しむ人たちとともに苦しむ、「共苦」の精神も生まれないはずです。
そしていま私たちに残されている責務とは、「忘れない」という
態度です。それは、個々人にとっての決意であると同時に務めであり、
試練でもあると思います。>

「生命の真の価値を放つ」「歓び」の心はどこから沸き起こって
くるか、それは次のスピーチがヒントをくれると思います。
楽天の主将、嶋選手のKスタ宮城開幕試合でのスピーチです。



「誰かのために闘う人間は強い。」
そして「誰かのために闘う人間」にこそ「生命の真の価値を放つ」
「歓び」は開かれている。今は強くそう思うのです。

2011年5月22日日曜日

「までい」の村

ー八重洲にある福島県の観光交流館で
 「幻の酒」になるかもしれない大吟醸
 「飯館」を売り出すって聞いたから
 一にも二にも買いに行かなくちゃって、
 買って来たよ。
ーよかったね、買えて。
ーそのとき飯館村の観光パンフあった
 からもらって来た。ほら、これ。
ー健康優良児2人って感じだね。見るから
 にほのぼのとしたいい村!
ーこの地に「までい」ってことばがある
 らしい。中にこう書いてある。
 ["までい"とは私たちの暮らしに古く
 から寄り添う言葉。「時間をかけて」
 「手間ひま惜しまず」「丁寧に」
 「じっくりと」…といった意味が
 あります。来るたびに味わい深まる
 飯舘村で"までい"の心を感じて
 ください。]
ーなるほど、この子たちも「までい」に育てられたんだね。
 きっとお米もお酒も「までい」に作られ、牛たちも「までい」に
 世話されてきたんだ。
ー何代にもわたって「までい」の村が作られてきたんだよ。
 それが今度の一事でもって突然村を出て行かなきゃならなく
 なって…
ーつらいよね。
ーそのことに、ぼくらが無意識にしろ片棒をかついでたって
 考えるのはもっとつらい。
ー自粛はやめよう、って言うけど、この子たちにつらい思いを
 させている何万分の一かは自分たちにも責任があると思うと
 無邪気に元の日常には戻れないわね。
ー少なくともこの子たちが、今までどおり「までい」の村で
 「までい」の生活を取り戻せるまで、ぼくたちはその痛みを
 忘れるわけにはいかないし、自分たちの生活も変えて
 いかないとね。

2011年4月17日日曜日

私も「許容していた」

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』が話題になった歴史学者
加藤陽子氏が毎日新聞に『原発を「許容していた」私』と題して
コラムを寄稿されています。
そう、私自身も「許容していた」。その罪を思わざるを得ません。

原発が人の命と暮らしを脅かす危険をはらんでいるのを知りながら
安全神話を信じ込み、過剰に快適な生活を当然のこととして
享受してきた罪。
そして自分の人生でさえ真剣に背負ってきたとは感じられない
薄っぺらでその場しのぎの人たちに、何万もの人たちの
いのちと人生を委ねてきてしまった罪。

東電幹部、原子力安全・保安院、原子力安全委員会等の
記者会見を見るにつけ、原発を推進してきたこうした人たちの
無責任なもの言いに憤りを感じる方は多いと思います。
まるで日々の株価の変動を解説しているような会見。
「官僚的」答弁そのままの応答。保身、組織防衛、責任転嫁。
人のいのちのことなどかけらも考えてないことを、日々
見せつけられている。
原発という危険きわまりないものを推進している人たちが
こんな薄っぺらな人たちだとどうして気づかなかったのか。

そして何よりも腹立たしいのは、本来、こういう大組織の論理
でしか動かない人たちに対して、もの言わぬ市井の多くの人の
代弁者となって、人のいのちと暮らしを守る尖兵の役割を
果たさねばならないはずの政治家が、その役割を何も果たして
いないこと。

困っている人、苦しんでいる人、命をおびやかされている人たち
が何を一番望んでいるのか、欲しているのか、それを何よりも
優先するのが全うな政治家であるはずなのに、与党・野党を
通じてどこにもそんな政治家が見当たらない事。

どうしてこんな人たちを選んできたのか…
誰を選んでも同じなんて、とんでもない間違いだった。
口先だけの薄っぺらな人を選ぶのは、何かことが起こったとき
命を失うことと直結している。
こういう事態になってそのことを初めて思い知った。
無自覚に「許容」していてはいけない。
払った代償はあまりに大きかったですが、これからはこのことを
深く胸に刻み込んで、生きていかねばと思うのです。

2011年3月21日月曜日

蔡さんへの手紙

                 いのち ー蔡國華ー
蔡さん

ご心配いただきありがとうございます。
こちらは元気でやっています。

大変な一週間が終わり、3日間のお休みでほっと一息ついています。
この一週間は毎朝5時に起き6時に家を出て、夕方はいつ停電に
なるかわからないので急いで帰り、夜は11時前に就寝。
すっかり早寝早起きに体がなじんできました。
生活改善のきっかけになるかもしれませんね。
計画停電で真っ暗な帰り道、夜空には見たこともないような
星空が光っていました。
どんなに悲惨な出来事のなかにも、少しはいいこともあるものです。

世界の人が原発の事故を心配しています。
ぼくらも心配です。事態が悪化したときどういうことが起こるのか
分からないからです。
そんななかで知り合いが一つの情報を送ってくれました。
アメリカの原子力専門家の福島原発事故の解析結果です。
以下送られて来た文を引用します。

***************************
「福島原子力発電所の解析が既にアメリカではされています」

知人から情報をもらいました。ご参考まで
高エネ研・理研・東工大などの研究者仲間で翻訳されています。
ひとことでいえば、カリフォルニア大学サンタバーバラ校Benn 
Monreal教授が、根拠を示して、恐れすぎないように様にという
趣旨です。
これを持って、心配している人達のために、街角紙芝居に出かけ
てはどうかと呼びかけています。
> 福島原発の放射能を理解する
***************************

上のURLをクリックし、現れたページの「翻訳された講演スライドの
ダウンロード」をクリックして、スライドを見てください。
もちろん英語版がオリジナルなのでそちらのほうが分かりやすいかも
しれません。
いずれにしても説明は専門的で理解は難しいですが、結論は
最悪の状況になっても避難範囲外の人は過度に心配することは
ないということです。

むしろあまりにも原発事故対応にエネルギーが費やされてしまって
被災され避難されている何万の人たちに救援の手が行き届かない
ことこそが最大の問題です。
せっかく助かった命をさらに失わせないようにするため、ぼくたちは
最大の努力をしないといけないのに、悲しいかな、何をしたら
いいのかよくわからないのです。
でも、ぼくたちが普段どおりの日常生活を淡々と回していくことこそ
ある意味最大のサポートになると考えています。

回りの人で心配されている人がいたら、アメリカの学者のレポートを
見せてあげて、心配することは何もないと言ってあげてください。

原発事故は今も危機的状況にあることは変わりありませんが
少しずつコントロール可能な方向に事態が動き出しているように
感じます。
いずれにしてもこれからの一週間がターニングポイントになると
思います。
是非みなさんで日本のために祈ってください。
それがきっと力になると信じています。

何、すぐにまたみんなで笑い合える時がきますよ。
それを信じて今はそれぞれの場所でベストを尽くしましょう。
どうかお元気で!

桂川正克

2011年3月6日日曜日

蔡國華展@日本橋高島屋

                   旅人ーTake a Breakー
蔡國華展が日本橋高島屋で開催されます。
 ● 3月9日(水)〜 15日(火)
 ● 日本橋高島屋6階美術画廊
 ● 午前10時 〜 午後8時 (最終日午後4時まで)

以下展覧会案内状より抜粋
ー作家が心の中を旅するように描いたモチーフは人物・風景・静物
 など、限定されることなく多岐に渡ります。
 その中でも人物は様々な状況や場面で垣間見せる表情を力強い
 筆致で捉え、寂寥感や哀愁の中にもどこかユーモラスな温かみをも
 表現し、観る者に人生という長い旅の一瞬をふと感じさせます。

是非ご覧ください!

2011年2月27日日曜日

命をつなぐ音

ークライストチャーチの地震で消息不明の人たち、一人でも多く
 助かってほしいわね。
ー生き埋めになったとき、どうして自分の居場所を知らせるか
 ぼくらも常日頃から考えておくべきかもね。
 笛をいつも持ち歩いているという人もいるよ。
ー自分でじゃないけど、がれきの中からケータイの呼び出し音が
 かすかに聞こえ、その音を手がかりに救い出された人もいたわよ。
ーケータイの呼び出し音って、普通のときはほとんどノイズだけど
 この場合、かけた相手のあらゆる思いが込められた音だよね。
 安否のわからない不安、ひょっとしたらっていう絶望感、いや
 今に明るい声が返ってくるに違いないっていう希望、そして
 鳴り続けていることが何かのシグナルになるかもしれないという
 祈るような気持ち、そんなはりさけそうな気持ちが全部
 そこに込められている、切迫した悲しい響きの音だよ。
ー悲しいかもしれないけど、それは人と人をつなぐこの世の
 根源的な音なんじゃない。これこそ音楽の一番初めの本質的な
 音だって気がするよ。
 

2011年2月13日日曜日

ホワイト革命

ーエジプトのムバラク大統領がついに辞任したわね。
ーデモ隊同士の衝突はあったけど軍は一貫して民衆に銃口を向ける
 ようなことはなかったし流血の事態は避けられた。
 だから今度の政変劇はホワイト革命とも呼ばれているね。
ー民衆が大規模に集まってデモ・集会をするのにfacebookやtwitterが
 大きな威力を発揮したことも画期的だったって言われてるわね。
ーこの政変劇があってわずか数時間後にオバマが演説をしてるけど
 久しぶりにオバマの面目躍如たる演説だったね。
ーどんなことを言ってるの?
ー人々の自発的な行動によって、非暴力で平和裡に革命が
 成し遂げられたのはキング牧師やガンジーがなしたこと、ベルリンの
 壁崩壊を導き出した力と響き合う、デモクラシーの神髄を示す
 ものだってね。
ーテロとの戦いの正当性を強調するための我田引水じゃないの。
ーもちろんその側面はあるけど、歴史的な位置づけの中で、
 デモクラシーは非暴力によって実現されてこそ、その正当性を獲得
 できるんだっていう明確なメッセージが発信されてるじゃないか。
 エジプトで起こったことは自分たちの核心的価値と結びついている。
 つまり人ごとじゃないということを明確に言っている。
ーリーダーが明確なメッセージを発するから国民は遠い国の出来事と
 自分たちの関係を考えることができるってことね。
 そんなメッセージが発せられることのない国では、さあ次はどこで
 革命が起こるかってマスコミが煽って、まるでショーを見てる
 感じだもんね。

2011年1月15日土曜日

タイガーマスクの贈り物


ー日本各地で伊達直人を名乗って新入生にランドセルが
 届けられてるって話題になってるね。
ー暗い話ばかり多い中で、久しぶりに心がぽっと明るくなる話だわね。
ータイガーマスクってぼくらの世代のヒーローだったから、贈り主は
 5〜60代の人が多いんじゃないかな。
ー自分の名を明かさずに、人知れず贈るなんて日本人らしい謙遜の
 美徳を感じるわね。
ー最初に伊達直人を名乗って贈った人の善意は本物だと思うけど、
 そのあとの展開はなんかひっかかるんだよね。
 無条件にはやし立てて喜んでていいのかなぁ、って。
ーあら、ひねくれてるわね。マスコミの報道を通じて善意の輪が
 大きくなっていくんだから喜ばしいことじゃない。
ー素直に喜んでればいいのかもしれないけど、基本的に寄付とかは
 自分の思い、目的があって、それを相手にちゃんと名乗って
 伝えてこそ、相手も寄付された意味を正しく理解できるし、自分も
 自分の寄付が正しく使われているかに責任を持とう、って気持ちに
 なるもんだよ。お互いに意味がわかって納得できあえれば
 これは継続してやって行こうってことにもなるしね。
ー難しいこというわね。そんな大げさなことじゃなくて、みんな
 ちょっといいことしたいだけなんだからそれでいいじゃない。
ーもちろんそれはそれでいい。ただこれが素晴らしいことだって
 あんまりはやし立てるのはどうかって思うんだ。
 匿名で自分の責任を問われないところでムードに乗っかっちゃって
 動く心理が強くなってしまうと、あらぬ方向にあれよあれよと
 流されちゃうんじゃないかと怖いじゃないか。

2011年1月2日日曜日

未来への手紙


アンジェラ•アキさんが紅白歌合戦で歌った「輝く人」、この歌は
一昨年彼女が紅白で歌った「手紙〜15の君へ〜」の続編だと
紹介されていました。

”今 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
自分の声を信じ歩けばいいの”
こうして歩き続けた人だけが「輝く人」になるんだよ、と
励ましてくれているのだと思います。

今年元旦の毎日新聞に驚くべきうれしい記事が掲載されました。
アウンサンスーチーさんの「ビルマからの手紙」連載が再開
されるというのです。

記事によれば「ビルマからの手紙」は1995年11月〜96年12月まで
52回連載された後中断、97年1月に再開され16回連載された後
再び98年6月に中断されました。

その後長い自宅軟禁の時を経て、昨年11月にスーチーさんは
解放され、まさかと思えた「手紙」の寄稿が再開されることに
なったのです。こんなに嬉しいことはありません。

90年代に連載された「手紙」は、私にとって他のどんな記事
よりも記憶に残る連載記事でした。
中心のトピックは彼女と、彼女を中心に結成された
「国民民主連盟」の政治的活動に関することですが
その政治的主張を声高にイデオローグの立場から言い立てる
のではなく、生活者として常に民衆の視線から政治が
語られていたのが印象的でした。

「手紙」にはいつも人々の日常生活のちょっとしたいざこざや
喜びごとがユーモアを持って描かれ、ビルマの人たちの
生活が極く身近に感じられたものです。
「手紙」に描かれたビルマの水掛け祭りのはじけるような
楽しさや、仏教に対する敬虔な思いは忘れがたい美しい印象を
残しています。

彼女がユーモアに溢れ、静かに寛容に民衆の生活に寄り添う
形で、たゆまずひるまずぶれずビルマの民主化を発信し続けた
からこそ、世界は彼女を支援しつづけたのだと思います。

自分を信じ、今自分のできることを精一杯やる、それが未来を
開いていく道であることを、彼女の手紙は教えてくれます。

残念ながら、再開された「手紙」の日本語訳は新聞でしか
読めませんが、オリジナル(英語)はこちらに掲載されています。

スーチーさんが、「亡き夫がこよなく愛し、色あせない英知として
私も胸にしまっている」と言って紹介している詩を最後に引用
させていただきます。

 昨日はただの夢であり
 明日は予感にすぎない
 今日をしっかり生きたらば
 昨日という日は理想となり
 明日という日に希望を開く
 だから今日と精いっぱい向き合おう

   インドの詩人カーリダーサ作「暁への讃歌」より