2011年6月19日日曜日
2011年6月13日月曜日
非現実的な夢想家
ーん、このタイトルは…
ーそう、村上春樹さんがカタロニア国際賞受賞スピーチで
使っていた言葉。
ー日本で原発に疑問を呈する人は、経済の現実を直視しない
「非現実的な夢想家」というレッテルを貼られてしまう、
という文脈で使われていたわね。
ーそうだけど、ここではこの言葉を少し違う文脈で使ってみたい。
ーというと?
ー温暖化防止の国際公約として、鳩山さんがCO2、25%削減を
ぶち上げたよね。
ー今となっては達成が絶望視されている目標ね。
ー現実的な人は当初からこの数字に懐疑的だったけど、
民主党政権交代の象徴的数字として拍手喝采する人も多かった。
ー何も具体的根拠はなかったけど、エコ家電にどんどん取り替えて
HVやEVを大量に導入して、風力や太陽光の発電を推進していけば
日本ならやれるんじゃないの、ってムードもあったよね。
ーその上東電自体が大量に広告を投入してオール電化って煽ってたし、
我々自身楽しくエコして明るい未来が開けるような錯覚に
陥っていた。
ーその意味でみんな「非現実的な夢想家」だったってことね。
ーみんなじゃない、そのウラで現実的な企業家や政治屋はとんでも
ないシナリオを用意していた。
ーどういうこと。
ーつまり現実的な人が用意した25%削減達成の切り札は原発14基
増設ということだったんだ。
ー25%が葵の御紋になって原発を堂々と作れるってことね。
ー堂々と大金を落としてもらえるし、利権を手に入れられるって
ことだよ。
ー空恐ろしい話だわね。
ー空恐ろしい話に危うく乗りかけてた。福島の人たちのあれだけの
犠牲があってようやく目が覚めた。
これって恥ずかしいことだよ。
ーでも電力がないと経済も暮らしも困ったことになるのも事実
よね。
ーだからふんばらないといけない。福島であれだけ血が流れている
のに、ぼくらが無傷でいていいはずがない。
一人一人、どんな暮らしをするか、どんな生き方をするか
身を削って考え実践していかないと。
村上さんの言葉で言えば「素朴で黙々とした、忍耐を必要とする
手仕事」を我々一人一人が始めないといけないんだと思う。
ご参考まで:村上氏の受賞スピーチ 動画、テキスト
2011年6月6日月曜日
「歓び」を感じる心
大震災から今まで、多くの人が心打つ言葉を話されてきました。
今日はそれらの中から、私が感動し是非書き残して記憶に留めて
おきたいと感じたスピーチを2つ紹介させていただきます。
最初は私の出身大学の現学長でロシア文学者(ドストエフスキー作品の
新訳が話題になりました)亀山郁夫先生の大学入学式式辞です。
同窓会報に掲載されたその一部を引用させていただきます:
<今年3月、私たちの日本は、もはや決して忘れることのできない災厄
を経験しました。状況は今もって予断を許さないところにあります。
この、未曾有の事態をまのあたりにして、私たちはいま呆然とし、
自信を失い、将来にたいして強い不安を感じています。
私自身も、つよい無力感にとらえれました。
しかしその一方、「生きてここにある」ということのかけがえのない
意味に目覚め、「生きてある」という事実そのものが、ひとつの
恩寵であり、ひとつの奇跡であるといった感慨を抱いた人々も
少なくないはずです。ただし、人間の生命は、それ自体では決して
「恩寵」にも「奇跡」にもなりえないものだと思います。
深く豊かに「歓び」を感じる心を持ってこそ、生命は真の価値を
放つ、と私は信じています。
また、「歓び」を経験できる心がなければ、私たちの傍らで傷つき、
苦しむ人たちとともに苦しむ、「共苦」の精神も生まれないはずです。
そしていま私たちに残されている責務とは、「忘れない」という
態度です。それは、個々人にとっての決意であると同時に務めであり、
試練でもあると思います。>
「生命の真の価値を放つ」「歓び」の心はどこから沸き起こって
くるか、それは次のスピーチがヒントをくれると思います。
楽天の主将、嶋選手のKスタ宮城開幕試合でのスピーチです。
「誰かのために闘う人間は強い。」
そして「誰かのために闘う人間」にこそ「生命の真の価値を放つ」
「歓び」は開かれている。今は強くそう思うのです。
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