2009年10月25日日曜日
向日葵三題
ー蔡さんの今度の展覧会では「生命の詩」(10月4日記事に画像あり)
と題したひまわりの絵がすごく評判よかったそうよ。
早くに赤丸が付いてたけど、これが欲しかった!っていう人が
随分多かったみたい。
ーひまわりという生命の核がビッグバンを起こして、その粒子が
宇宙に飛び散ってるって感じがする。とても鮮烈なイメージだね。
ー「ひまわり」っていうとゴッホが有名よね。
ーこちらも「生命感溢れる」って先入観があるけど、ぼくにはそうは
見えないね。逆に打ちひしがれて、しおれていきそうな悲しみを
感じるよ。
ーこれはアルルの「黄色い家」を飾るために描かれた絵でしょう。
もうじきゴーギャンとの理想の共同生活が始まるって
わくわくしながら描いたんじゃないの。
ーきっとそんな共同生活はうまくいきっこないって予感が
あったんだよ。でもゴッホにとってその共同生活だけが生きる
望みであったから、必死でそんな思いを打ち消して、いそいそ
準備に励んでたんだ。でもAfterの予感が隠しようもない
悲しみになって絵に表れてる。
不幸にしてその予感は的中してしまうんだけどね。
ー確かに両サイドのひまわりはしおれてるし、ほかのも今にも
崩れ落ちそうね。
ーところで最近、伊藤若冲「動植綵絵」の中の「向日葵雄鶏図」
を見たよ。
ー動植綵絵は今、東京国立博物館で全30幅が展示されているわね。
ーこちらは色鮮やかにポーズを決めている雄鶏が主人公だけど
周りの向日葵がすごく妖しいんだ。
ーどういうこと?
ー向日葵の内側に折れた花びらが食虫植物の触手のように
今にも雄鶏に絡み付こうと、虎視眈々狙っている感じがしないか?
ーそう言われれば、花びらがねちっこい指みたいだわね。
ー花の真ん中の筒状の部分だって細胞がもぞもぞしてそうだし
葉っぱも型取りされたような丸い穴やシミが妙に妖しい。
朝顔だって花のまだら模様とか、つるの絡み具合とか
妖しい息遣いを感じてしまうよ。
ー確かに、無垢な雄鶏を自分の体内に取り込んでしまおうと
背後からヒタヒタ植物が迫っているって感じね。
ー若冲という人は寝ること、食べること以外はひたすら絵を描く
単調な毎日だったらしいけど、心の中では描くことに
どれほど狂おしい思いを持っていたか、ちょっと空恐ろしい
気がするね。
ひまわり(損保ジャパン東郷青児美術館所蔵のもの)
向日葵雄鶏図
2009年10月21日水曜日
2009年10月18日日曜日
タクシーと指輪とレストラン
加藤和彦さんが亡くなりました。
秋の青空の向こうに何があるのか見たくて
飛んでいってしまったのかもしれません。
『あの素晴らしい愛をもう一度』、同世代が集まり歌を歌う
機会があると、必ず最後はこの歌の大合唱です。
「あの〜」のところを唸る者、がなる者、叫ぶ者
みんなそれぞれその一瞬、自分の青春に還っています。
ぼくは加藤さんの『あの頃、マリー・ローランサン』という
アルバムを愛聴していました。
その中にこんな歌詞があります。
友だちから きいてきた
流行りの そのレストラン
満員で断わられ
途方に暮れた僕に
「歩きましょう」と からませた 指と指に
あの頃は いつでも
ふたりの愛が
優しく 往ったり来たり 若い日の思い出…
(詞:安井かずみ 曲:加藤和彦
『タクシーと指輪とレストラン』より)
これっぽっちの情報と、あり余る思いを抱えて生きていた
そんな時代にふさわしいアーティストでした。
今はきっと安井かずみさんと腕を組んで Heaven's Avenue を
闊歩されていることでしょう。
ご冥福をお祈りします。
2009年10月12日月曜日
煌めく街
ー金井画廊の蔡國華展を見てきたよ。
ーどうだった?
ー人物、風景、静物、どの絵もみんな想像力がかきたてられて
見飽きることがなかった。
「煌めく街へ」(前回記事に画像掲載)とか、ドブロヴニクの
街を描いた作品があったけど、赤い屋根がすごく印象的だったね。
ードブロヴニクってアドリア海の真珠っていわれるクロアチアの
街よね。
ー海に面した家の屋根という屋根がみんな同じ赤い色で塗られて
いるそうだ。太陽の光で屋根が輝いてるんだけど、蔡さんは
屋根自体が光の粒子をはらんで自らきらきら煌めいている
ように描いているんだね。
屋根の煌めきはきっとその屋根の下にすむ人たちの心の
煌めきなんだよ。
ー何世代にもわたって赤い屋根の景観を守るためには、いろいろ
大変なことがあっただろうからね。
真珠を輝かせているのは、人の心の営みってわけね。
蔡國華展の様子です。
登録:
投稿 (Atom)