2009年8月9日日曜日

Hiroshimajority


ー広島市の秋葉市長が平和宣言で、核廃絶を目指す私たちを
 「オバマジョリティー」って呼んだのが、ちょっと
 ひっかかってるんだよね。
ーオバマのプラハ演説にあやかろうっていうんでしょ。
 わかりやすいじゃない。
村上さんの「システム」と「個人」という対比からすると
 オバマの演説は言うまでもなく「システム」のことばだよね。
 今「システム」(ここではアメリカを頂点とする世界秩序)を
 脅かす最大の脅威は核爆弾が一部テロリストの手に落ちてしまう
 ことだろ。「システム」にとっては悪夢だよね。
 だから今あれだけアフガニスタンにしゃかりきになっている。
ー悪夢を現実にしないためには、核廃絶しかないってことを言いた
 かったわけだね。
ーそれは正しいけど、ただ「システム」の論理はそこから目と鼻の 
 先で、そんな悪夢を阻止するためだったらテロリスト集団に核爆弾を
 使ってもかまわない、ってことになってくる。
ーそれは仕方ないんじゃないの。
ー戦争では「システム」の論理が最大化され、「個人」の論理は
 最小化されるからね。でもその結果どんな恐ろしいことが
 起こったか、それがヒロシマ、ナガサキだったってことじゃ
 ないかな。
ー言いたいことがよくわからない。
ー「システム」の側から世界をみている限り、戦争はなくならないし
 核廃絶も出来ないってことだよ。
 戦争でどちらの側にいようと「個人」は致命的な打撃を受けるし、
 核爆発は一瞬だけど、その下は文字通りの生き地獄だ。
 たとえ「個人」がその地獄を生き抜けても、それから何十年、
 何世代にも渡って堪え難い苦しみを背負っていくことになる。
 ヒロシマでぼく達はそういうことを目撃している。
 どんな戦争でも「個人」にとっていい戦争なんてあり得ないんだよ。
 「システム」は強力だから、それに対抗するために個人ひとりひとり
 が余程自覚し、声をあげ、連帯していかないとダメだと思うんだよ。
 「個人」の連帯による多数派、これを「Hiroshimajority」と言っても
 よかったんじゃないか。広島にはその資格があると思う。
ー「個人」ひとりひとりの物語を大切にするってことだね。
 デザイナーの三宅一生氏がニューヨークタイムスに自分の被爆体験を
 寄稿しているけど、彼にもそういう思いがあったんだね。
 

0 件のコメント: