2010年6月27日日曜日

生きる糧


ー永井画廊の蔡さんの個展が終わったわね。
ー終わっちゃうと淋しいね。
ー展示されていた作品に「糧」という作品があったじゃない。
 革表紙でいかにも重々しくて、西洋の昔のお屋敷の壁を
 占めていたような古書が何冊か積まれている作品。
 あれを見て「糧」ってなんだろうかって考えちゃった。
ー本に書かれた情報が「糧」になるかっていうと、そんな
 ことはないよね。「糧」っていうのは「生きる糧」って
 意味だろうから。
ーじゃ、何が生きる糧になるのかしらね。
ーみんな自分が生きている意味を知りたいじゃないか。
 一体自分は何で生きてるんだろうってね。
 そのことを考え、考え、探しに探しているときに、
 別の人がやっぱりそのことを、もっともっと深く鋭く
 考えているのに出会うと、自分の中の何かの成分が化学反応を
 起こして「生きる糧」になるんじゃないかな。
ー本が「糧」なんじゃなくて、それを書いた人が生きる意味を
 考えに考えてくれたこと、それが「糧」ってことだよね。
 考えに考えた足跡のエッセンスが糧になるってことよね。
ーそう、だから考えに考えられた足跡だったら何だって糧になる。
ー蔡さんの絵も。
ー「何来何去」なんて、何年にも渡って、考えに考えられている
 足跡そのものの作品だからね。「自分はどこからやってきたんだ?
 自分は何者でどこに行こうとしているのか?」そのテーマの中に
 生命の誕生以来途切れることなく自分にまで続いてきたいのちの
 流れの不思議、同じ時代を生きる70億人の同朋のひとりとして
 自分が存在することの意味を問い続けようという決意が
 表れているじゃないか。
ーこういう言い方すると不謹慎かもしれないけど、蔡さんの
 命尽きるまで「何来何去」は描き続けてほしいわね。

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