―12月5日はモーツァルトの命日だよ。
1791年のこの日にモーツァルトは亡くなったの。
―晩年のモーツァルトは借金を重ね、極貧の生活の中で
病気になって亡くなったんだろ。
―借金をしまくったのはその通りだけど、貧しい生活って
いうんでもなかったみたいなのよ。
むしろ収入が急減したのに、それまでと同じ羽振りのいい
生活を続けようとして、首が回らなくなったみたい。
―どうして急に収入が減ったんだ?
―当時、モーツァルトの主な収入源は演奏会の入場料、
ピアノ・作曲のレッスン料、作曲料だったのね。
つまりウィーンの新興市民階級が支えてたのよ。
―その市民階級から飽きられたって訳?
―この頃モーツァルトの音楽はものすごく複雑で
内面的なものになったから、一般の人にとって
わかりにくくなったのは事実ね。
でも一番大きな原因は戦争なのよ。
1787年、ハプスブルク帝国はロシアと同盟して対トルコ戦争
を始めたけど戦況は膠着、戦費が膨大になったうえに
多くの人の犠牲も伴った。
ヨーゼフ二世の急激な改革ですでに経済は疲弊してたのに
この戦争で、ウィーンは一挙に恐慌に陥ってしまったのね。
誰も音楽にお金を費やす余裕は無くなったのよ。
―なんだか状況が今と似ているなぁ…
天才モーツァルトも経済の大波に翻弄されながら
亡くなっていったんだ。
それを聞くとすごく親近感を感じるね。
(参照図書:礒山雅著「モーツァルト二つの顔」)
1 件のコメント:
「それを聞くとすごく親近感を感じるね。」
――同感。
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