—「おくりびと」がアカデミー賞の外国語映画賞を獲ったね。
—よかったわねぇ。みっともない映像が世界中に流されて
恥ずかしい思いをしたから、これで名誉挽回よ。
—滝田監督が「映画の神様が頭上からオスカーを落とし物して
くれたのか。」と言ったそうだけど、当事者もまさか
自分たちが獲れるとは思ってなかったんだね。
—でも今回の出来事のウラには、やはり神様の差配があったって
気がしない。
そもそも93年に青木新門さんが「納棺夫日記」って本を出したのが
事の発端でしょ。こんな内容の本だから、どう見たって
多くの人に読まれるわけないよね。
青木さんはそんなこと度外視して、自分のやってる仕事を
どうしても人に伝えたくて、この本を書いたんだよ。
ところがどういうわけかこの本が本木くんの目にとまり
彼はなんとかこれを映画にしたいと思った。
—納棺という仕事に対する青木さんの思いが、本木くんという
共鳴板を見いだしたんだね。
—でもね、当たり前だけど最初は小さな一枚の共鳴板で、とうてい
映画を鳴らすだけの力はない。それを彼が諦めずじっと待って、
やっと映画にできるだけの大きな共鳴板にしたんじゃない。
—一途な思いは岩をも砕くってやつだね。
—神様の差配はここからなのよ。
こうしてやっと映画が出来て公開されたのが2008年でしょ。
この年アメリカはバブルがはじけ、金に煽られる生き方を
みんな真剣に反省し始めた。こんな中で公開されたからこそ
「おくりびと」はアカデミー会員の心の中で大きく共鳴
したんだと思うの。これが去年だったり、来年だったりしたら
ノミネート作品の顔ぶれは同じでも、オスカーの行き先は
違ったんじゃないかな。
—なるほど、神様の落とし物は粋な計らいだね。
2 件のコメント:
共鳴板っていうのはいい言葉ですね。今度使わせてもらおうっと。小さな声から始まり、それ自体小さな共鳴板が集まっていくことによって、やがて大きな声や音になっていく。時代が求めている感じだね。おかしな声がおかしな耳で共鳴していくとヤバイけど、昔あったみたいに。やはり正しい耳と共鳴するエネルギーも必要となるのかも。
確かに、おかしな声に共鳴するとヤバいなぁ。
おかしな声はちゃんと聞き分けられるよう普段の訓練が大事ですね。
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