—上野の博物館で「妙心寺展」を見てきたよ。
—へえ〜
—妙心寺は小学校のころ、家の近所の遊び場だったからね。
やたらだだっぴろくて人気がなかったから、自転車を
乗り回したりするのには絶好の場所だったんだ。
そんなお寺の展覧会が東京であって、人が一杯来ているのは
ちょっと不思議な気がした。
—地味そうだけど何か面白いもの、あったのかしら。
—国宝になってる「瓢鮎図」が結構面白かったね。
—写真で見たって、な〜んにも面白くないじゃない。
—それがだよ、側に寄ってジーっと見ると、ヒョウタンで
ナマズを捕まえないといけない男は、ヒョウタンを持った
まま、獣の形相で総逆毛立って硬直しちゃってるんだ。
ところがナマズの方は、そんな男が側にいるのを知ってか知らずか
いかにも自由にしなやかに、スイスイ泳いでるわけだ。
それでひとつ、今の世の公案を考えたんだけど、
「ナマズはいらない、ナマズになる」っていうの、どう?
—何なの、それ?
—ナマズを捕まえようとすればするほど、ガチガチで身動き
とれなくなってニッチもサッチもいかなくなるんだ。
じゃなくって、いっそナマズになっちゃって、余計なこと
考えずに、素の自分でいれば生きやすいんじゃないかなぁ、
ってね。
—ますます訳がわかんないね。
3 件のコメント:
上にずらっと書かれている禅問答のやり取りが読みたい気がしますね。どんなやり取りなのか。提案「公案」はなかなか面白いんじゃないでしょうか。今の日本、生きにくい世の中ですからね。嫌いな人や嫌いなことをできるだけ避けていけたらストレスありませんよね。見栄張っても所詮どこかで無理がでますし、お金少しくらいなくっても、好きな時間を多く持ったほうがいいですよね。
自分で書きはしましたが「素の自分」になるのは難しいことですね。家族、職場、地域、そういう関係性の中で生きていて、そこから逃れるわけにはいかないですからね。
ちょっと矛盾する物言いになるかもしれませんが、あまり自分に固執しないというか、最後は何か大きなものに委ねてよしとする、そんな気構えが大事な気がします。
そうそう確か漱石が言ってた「則天去私」がいい感じですよね。「去私」もできず、「私即天」になりがちな自分を戒めないと。
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