2009年2月12日木曜日

菜の花忌


—司馬遼太郎さんが亡くなって丸13年だね。
 今の世界を見たら、「それ見たことか」って言われるだろうな。
—陳舜臣氏が「司馬さんを送る会」で読まれた弔辞の中で
 司馬さんに詩を手向けられててね、ぼくはそれがとても好きなんだ。
 こういうんだよ。

  春泥未晒菜花辺 (春泥未だ晒さず菜花のほとり)
  学業同途五十年 (学業途を同じくす五十年)
  一夢人琴今巳矣 (一夢人琴今はやみぬ)
  傷心只見旧山川 (傷心ただ見る旧山川)

 志を同じくして人生を切磋琢磨してきた友への、哀惜の情が
 深々と伝わってくるじゃないか。
 こんな友情を交わし合えた人生とは、なんと豊かな人生
 だったろうって羨ましくなるね。
—菜の花っていうとどうしても蕪村のこの句が出てくるね。
  <菜の花や月は東に日は西に>
 もうひとつ、対みたいにこの歌も思い出す。
  <ひむがしの野に炎(かぎろい)の立つ見えて
   かえり見すれば月かたぶきぬ>(柿本人麻呂)
 蕪村の句は伸びやかな精神に溢れているし
 人麻呂は凛とした空気の中の気韻を感じるね。
 きっと司馬さんはこういう精神を持った人間が
 好きだったんだと思うよ。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私も最近「この国のかたち」を再読していて、感じることが多いですね。ついでにいうと11日に日活の「戦争と人間」全6巻をビデオで看完したのですが、そこにノモンハンの戦いが出てきて、司馬さんの憤りを思い出しました。映画では吉永小百合がよかったですね。夏純子も。最後は昭和48年公開ですから、26年前ですか。あの頃もっとしっかり生きてればなんて思ったりもしました。

Kat-chan さんのコメント...

私は実は「街道を行く」から司馬さんに入ってまして、何につけこれに手を伸ばしてしまうので、その他のものはあまり読んでないのです。
ノモンハンは書きたいけど、小説では書けないとずっとおっしゃってましたね。晩年、バブルに対して激しく憤られていた姿が忘れられません。