2008年10月21日火曜日

沈壽官さんのこと


昨日何気なく「鶴瓶の家族に乾杯」を見ていたら14代沈壽官さんが
出て来られてびっくり。普通、著名人は出ないはずなのに・・・
それはさておき相変わらず豪放磊落、元気なお姿に安心しました。
今でこそ薩摩隼人そのものの壽官さんですが、家系の祖は秀吉の
朝鮮戦役の時、薩摩に連れて来られた陶工です。
約40年前、鶴瓶さんと同様突然沈家を訪問した司馬遼太郎は
その取材をもとに「故郷忘じがたく候」という小品を著しますが
その中に印象的な場面があります。
14代がまだこの名を継ぐ前、伝統に縛られるより自分の個性を
出した陶芸作品を作りたいと考え、父である13代に願い出ますが
父は頑として許しません。
14代は「それではいったい」「自分というものは何のために生きて
いるのでしょう。」「教えてたもし。」と懇願したそうです。
すると13代はただひとこと、「息子を、ちゃわん屋にせえや」と
言ったそうです。
「わしの役目はそれだけしかなかったし、お前の役目も
それだけしかない、」と。
このことばは個性と伝統という点からは様々に批判できるかも
しれませんが、歴史に翻弄される人間は、世代を超えて強固な
意志を継承していくことで、逆に歴史を見返すこともできる
という強い思いが込められているような気がします。
そしてそのことば通り、14代の息子さんが今では15代当主となり
沈壽官窯はいよいよ隆盛を誇っています。
思いがけず壽官さんの人なつこいお顔を拝見し、ついつい一言
書きたくなりました。
ネット上で検索し14代壽官さんのいいお顔がご覧になれるサイト
当代沈壽官氏HPにリンクしておきます。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

お陰さまでリンク先で沈壽官さん代々の作品を拝見させた頂きました、ありがとうございます。

匿名 さんのコメント...

初めまして木内と申します。
蔡さんより当ページを紹介されて数日前より拝見しています。
「何のために生きているのか?」「息子を、ちゃわん屋にせえや」沈壽官13代の言葉はズッシリ来ますね。人生無意味のようにさえ思える言葉ですが実は真理でもあります。
昔、ドーキンスという人が利己的な遺伝子という概念を提唱しましたがそれによると、我々は遺伝子の「乗り物」にすぎず遺伝子が自分自身を残こすために最適化した戦略が進化を切り開いたそうです。これは13代の言葉そのものです。「ただひたすらに継ぐこと」それ自体が進化の戦略になっているわけです。
13代の言葉は、ご存じの蔡さんのテーマ、「何来何去」にも通じます。多分蔡さんが無印良品ノートに人生の一コマを切り取ることにも、切り取られる側の人生にも通底する言葉だと思います。
「通勤絵足」の継続期待しています。

Kat-chan さんのコメント...

木内さま、初めまして。
ご投稿ありがとうございます。
木内さんご指摘の通り、13代のことばは「何来何去」のテーマと重なっているなぁ、とぼくも思ってました。
人間は自分一個の存在ではなく過去からつながり、未来にもつながって行く存在であると。
ただ自分自身は何も未来に残せるものがないので、せめて「通勤絵速」をきっかけとした何かを残せればいいなぁ、と考えています。
「継続は力」をモットーに少しずつ歩んで行きたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。