―ハマっ子として、ちょっとヨコハマ自慢させてもらうよ。
―何なの?
―ギャルリーパリに行く時通った横浜公園、日本大通り、
それに山下公園から中華街、元町に連なるあたりは
なかなかいいところだろう。
―そうね。とても横浜らしくって、オシャレな感じがするね。
―本当は、ここを高架の高速道路が通るはずだったんだよ。
―えっ、ここに高架で高速が通ってたらムードぶち壊しじゃない。
その高速道路はやめになったの?
―イヤ、みなとみらいで地下に潜り、横浜公園の地下を通って
石川町あたりで地上に出てくるようになっている。
―よかったね、地下にしておいて。
―それが、簡単じゃなかったんだよ。
1968年頃計画されたんだが、主体の建設省は当然高架しか
考えてなかった。当時は高度成長まっただ中で、早く、安くの
時代だから、お金も時間もかかる地下化は特別で皇居のまわり
だけだったんだ。皇居を見下ろすのは失礼だからってね。
だから横浜くんだりで地下化なんて何をバカげたことを
というのが建設省の最初の反応だったらしい。
―よく地下化でできたね。
―あらゆる困難と激しい抵抗を覆していったのは政治の
プロセスそのものだけど、それを実現させたのは結局
当時の飛鳥田横浜市長の、ここに高架道路を通すことは
都市横浜の死に等しいという哲学、信念、情熱に
尽きるんだね。それで横浜全体が血眼になったし
最後に建設省も折れたんだよ。
―今じゃ当たり前に見える景色にも、そういう物語があるのね。
―将来を見通す眼とゆるぎない信念、それなくして政治の
リーダシップなど生まれないものだよ。
(地下化経緯はこの本に詳しいですが、すでに品切れのようです。)
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