2008年11月18日火曜日

地下の自慢


―ハマっ子として、ちょっとヨコハマ自慢させてもらうよ。
―何なの?
ギャルリーパリに行く時通った横浜公園、日本大通り、
 それに山下公園から中華街、元町に連なるあたりは
 なかなかいいところだろう。
―そうね。とても横浜らしくって、オシャレな感じがするね。
―本当は、ここを高架の高速道路が通るはずだったんだよ。
―えっ、ここに高架で高速が通ってたらムードぶち壊しじゃない。
 その高速道路はやめになったの?
―イヤ、みなとみらいで地下に潜り、横浜公園の地下を通って
 石川町あたりで地上に出てくるようになっている。
―よかったね、地下にしておいて。
―それが、簡単じゃなかったんだよ。
 1968年頃計画されたんだが、主体の建設省は当然高架しか
 考えてなかった。当時は高度成長まっただ中で、早く、安くの
 時代だから、お金も時間もかかる地下化は特別で皇居のまわり
 だけだったんだ。皇居を見下ろすのは失礼だからってね。
 だから横浜くんだりで地下化なんて何をバカげたことを
 というのが建設省の最初の反応だったらしい。
―よく地下化でできたね。
―あらゆる困難と激しい抵抗を覆していったのは政治の
 プロセスそのものだけど、それを実現させたのは結局
 当時の飛鳥田横浜市長の、ここに高架道路を通すことは
 都市横浜の死に等しいという哲学、信念、情熱に
 尽きるんだね。それで横浜全体が血眼になったし
 最後に建設省も折れたんだよ。
―今じゃ当たり前に見える景色にも、そういう物語があるのね。
―将来を見通す眼とゆるぎない信念、それなくして政治の
 リーダシップなど生まれないものだよ。

(地下化経緯はこの本に詳しいですが、すでに品切れのようです。)

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